止められないと思っていた老化が止まった。
もう2度とまともにバスケできないかと思っていたのに、動ける体になってきた。
前はバスケするたびに翌日ボロボロになっていたが今はどうなのじゃ?
毎日娘と夕方体育館に行ってバスケをしているけど、もう膝の痛みに悩むこともないし、アキレス腱炎もだんだんよくなってる。
なんでよくなったんだろう?
バスケに必要な筋肉がついてきたからだと思う。
前回書いた2種類のトレーニングのおかげで、膝周りの筋肉が強化されたんだと思う。
膝の故障を回避するトレーニングについては前回書いたから、今回は書かない。
その代わり、瞑想にハマりすぎると幸せから離れるよってことについて書く。
どういうことなの?
バスケができない体になったのは老化だった。
運動不足。
膝や足首を守る筋肉がなくなってしまったからだ。
しかし今思うと、老化を招いたのは瞑想だった。
瞑想にハマり込み、安らぎの世界を見つけ、そこにどっぷりと使ったことで「瞑想だけで幸せになれるじゃないか!」と思った。
「こんなに安らかなんだから何もする必要なんてないよね?」と思ってしまった。
それからは「人に認められたい」という気持ちはあまりなくなり、必要以上に金も物も刺激も求めなくなった。
死なない程度に働き、瞑想し、幸せに眠る。
そんな日々になった。
何かを追い求める人生が一転し、穏やかで静かな日々になった。
しかし運動までしなくなってしまったのはまずかった。
心が安らかなのはいいのだけど、運動不足は少しずつ人の生きる力を削り取っていく。
瞑想しても筋肉が維持されるわけではないのだ。
30代半ばまでずーっと65キロほどの体重を維持していた。
しかし瞑想をするようになって10年。
筋肉は落ち、今は62キロしかない。
体脂肪率も少し上がったから、4キロほど筋肉が落ちたことになる。
4キロをステーキに換算すると400グラムの特大ステーキ10枚分だ。
筋肉をステーキ換算するとリアル!
筋肉を失ってみて思ったのは、「足腰が弱ると快適に生きるのは難しい」ということだった。
瞑想で心が安らかになっても、足腰に不安があると安らかさが半減する。
瞑想で心を整えるのと同じように、運動で体を整えることも大切なのだ。
瞑想の良さに気づいた人に伝えたい。
「運動を疎かにしてはいけないよ」と。
「特に足腰の強化はちゃんとしないといけないよ」と。
長距離を頻繁に走る必要はない。
ランニングは同じ筋肉を過剰に使うから故障しやすいし。
走るよりスキップがいい。
短い距離で高い負荷をかけられるし、体の柔軟性を維持できるから。
スキップで体が温まったら、ランジやスクワットで下半身を鍛えて欲しい。
運動しながら美味しい空気をたくさん吸って、酸素をたっぷり筋肉に送り込んであげて欲しい。
体の快感を生むのは呼吸と血流だから。
幸せってけっこうシンプルなものだ。
- 生活するだけの物資があり、
- 身近な人たちが幸せで、
- 自分の体が健康で、
- 夢中になれることが1つ2つある。
この程度でいいのだ。
瞑想に辿り着いたことで僕の人生はシンプルになった。
幸せが身近になった。
しかし運動を疎かにしすぎた。
内臓機能は健康でも筋肉が維持できてないと健康とは言い難い。
これからは瞑想だけでなく、足腰の鍛錬も続けていこうと思う。