心にべっとりと貼り付いたエゴを取り去るにはどうしたらいいか?

今日はのんびり家で過ごしていた。

いわゆる家でダラダラ過ごすというやつだ。

ChatGPTに遊んでもらったり、

ゴロゴロしながら友達のポッドキャスト聞いたり、

「ツイッターってXになってインスタより面白くなったよね」と感心したり、

プロ奢ラレヤーについてポストしたら本人からいいねされたりして驚いたりした。

大学生の時は暇を持て余してゴロゴロしたりするのは普通だったんだけど、社会人になってからはゴロゴロ過ごすような使い方は全然してこなかった。

ずっと何かに追われたり追い求めたりして、時間の浪費を嫌悪していたように思う。

人生に何かを求めていたのだろう。

何者かにならなきゃいけないと思ってたし、社会的に認められないといけないと思っていた。

でも全然思い通りにならなくて「くそ!これでもか!これでもか!」と何かにトライし続けていたように思う。

でもそんなことをいくらしても幸せにはなれなかった。

それでも子供が生まれる前はましだった。

奥さん(当時は彼女)とは仲良かったから、苦しいながらも楽しかったのだけど、子供が生まれてからは奥さんとの仲も悪くなってしまったから地獄のようだった。

去年ウェブで話題になったこの本と同じ状態だった。

あれだけ売れたということは、それだけ似た状態になっている家庭が多いのだろう。

仕事もプライベートもすべてダメになってようやく自分自身の生き方、エゴを手放せない自分と向き合うことができた。

おかげで今は社会的には「大丈夫なの?」と言われかねない状態ながらも楽しく暮らしている。

エゴを手放したことで奥さんとも関係も改善し、頑張らなくても必要最低限のお金が自然に入ってくるようになったのだけど、「エゴを手放すってどういうこと?」って思う人もいると思うのでお話ししたい。

前振りが長かったが、ここからが本題である。

うまくいかなかった時、僕は仕事もプライベートもうまくいかなかったのはエゴのせいだと気づいた。

どんなエゴかというと、

  • 自分の好きを仕事にし、事業的にも成功したい
  • 不労所得で暮らし、「すごいね」と言われたい
  • 世界中を旅しながら暮らしたい
  • できれば家族で世界中を周りたい

といったエゴである。

こういうふうになりたいし、そうなることがひいては家族の幸せにつながると信じていた。

しかし僕が追い求めれば追い求めるほど奥さんは冷めていく。

家族のことを考えずに自分のことばかり考えていると思われる。

家庭内の空気が悪い。

話しかけても何も答えてくれない。

僕の分だけ明らさまに掃除・洗濯・料理をしてくれない。

娘と向かい合っている時は笑顔。

僕と向かい合っていると目が死人。

そんな感じだった。

家庭がこんな感じだと結局全然仕事のほうは前に進まない。

どんなに頑張ろうとエネルギーを高めても、家に帰れば一瞬にしてエネルギーは吸い取られマイナスになる。

振り絞るが一瞬で消えるエネルギーを必死に高めようとする暮らし。

こりゃ全然ダメだと思った。

家庭も崩壊状態、仕事も崩壊状態。

それで僕は仕事を手放し、何もせずに瞑想しつづける暮らしを始めた。

毎日毎日瞑想ばかりする。

1時間瞑想したら読書をし(歴史的宗教指導者やヨガの指導者の伝記が多かった)、また瞑想をして読書をする。

そんな世捨て人のような暮らしを続けていたらようやくわかったのだ。

「全部手放してしまえばいいんだ」と。

  • 自分の好きを仕事にし、事業的にも成功したい
  • 不労所得で暮らし、「すごいね」と言われたい
  • 世界中を旅しながら暮らしたい
  • できれば家族で世界中を周りたい

これを追い続けている限り、奥さんが笑顔になることはない。

奥さんが笑顔にならない限り、僕が幸せになることはない。

もしかしたら自分の夢を一生捨てなければならないかもしれない。

うむむむむ…

ん〜

「それでもいい!全部叶わなくてもいい!家族が幸せじゃないと意味がない。家族が幸せじゃないと僕は幸せになりようがない。一番大切なのは家族の幸せだ」

というわけで全部捨ててしまうことにしたのだ。

そこからは仕事にたいするこだわりもプライドもなくなったので、フリーターとも言えないような暮らしがはじまった。

あいかわらず瞑想と読書の暮らしをしていたら友達の不動産投資家が「暇だったら物件の修理手伝ってくれない〜?」というので、ど素人なのに家を直し始めた。

時給は1000円ほど。

月に3万円くらいの収入の日々を数ヶ月送った。

そんなある日、友達の物件のボロッボロのドアを直した。

ボロボロになって穴が空いたドアを修繕する。

難しかったのだけど、やり終えた時、家が喜んでいるような気がした。

その感覚がとても幸せだったので、「こんなふうに家が喜ぶことがもっとしたい」「自分の物件がほしい」と思った。

貯金もなかったが、友達の不動産投資家は古い家を5万円で買うような人だったので、真似すれば似たような金額で変えるんじゃないかと思った。

最初は勇気が必要だったが、思い切って何軒かの不動産屋に飛び込んだ。

4軒目の不動産屋で家から1分の場所の物件を紹介された。

それで手に入れたのが呼吸の家である。

奥さんの望みは僕が娘のそばにいることだった。

だから購入した物件に入り浸っていても、家から1分なので全然問題なかった。

収入はないけど、職人を雇うわけではないので材料費と工具代だけで家がどんどんきれいになっていく。

築60年近い家だからボロボロなのだけど、その家が美しくなっていくのは本当に楽しかった。

収入がない問題はそのうち解決された。

近所の仲良しのおじいさんとおばあさんがある日物件にやってきて、「仕事でお願いしていたドライバーさんが病気になっちゃったから、時間が許すなら手伝ってくれないか?」と言った。

拘束時間は1日わずか2時間。

週5日で8万円くれるという。

それだけあれば家賃や生活費にどんどん消えていくお金の流れを食い止めることができるのでお受けすることにした。

内容は海女さんを海に送迎する仕事。

朝7時に2人の海女さんを海に連れていき、お昼前に迎えに行く。

迎えに行ったら海女さんが採ってきたサザエを漁業組合に持っていく。

それだけである。

もともと仲のよかったおじいさんとおばあさんとの仕事だから全然苦にならなかった。

自分の好きなDIYをやりながら、苦にならない仕事でお金を得て、家族のそばで暮らせる。

そんな日々を送っているうちに奥さんも変わっていった。

昔のようにしゃべってくれるようになり、僕の分の掃除・洗濯・食事もやってくれるようになった。

笑顔も戻ってきて、話し合えるようにもなった。

そうして今がある。

「もしその海女さんの仕事がなくなったら収入がなくなって苦しい生活に逆戻りなんじゃないの?」と思う人もいると思うが、そうはならないと思う。

エゴを捨てるとお金の問題は時期がくると勝手に消えていく。

ヤバいなとなったら不動産投資家の友達が出現し、再びヤバいなと思ったら近所のおじいさんとおばあさんが現れた。

もし海女さんの仕事をやめたとしても、またヤバいなと思ったら誰か現れるか、どういうわけかお金が入ってくると思う。

そういう不思議なエネルギーの循環がエゴを手放した世界には働いているように感じる。

ちょっと長い話になっちゃったけど、こうして状況が好転していったきっかけは瞑想だったし、自分と向き合うこと、エゴを手放すことで問題が解決することに気づいたということだ。

人生がうまくいかないしたら基本的にエゴの問題という認識で間違いないと思う。

人のせいではなく、自分のエゴのせい。

そのエゴが自分の周りの世界を作り出し、自分が望んでないのに喜ばしくないことが起こる。

潜在意識が望んでいると心理学者は言うが、顕在意識が望んでないのでいまいち腑に落ちない。

でも実際そうなのだと思う。

自分のエゴが喜ばしくない世界を自分の周りに作っている。

なんで僕がそう思うかというと、自分の望みを捨ててしまい、エゴも一緒に捨ててしまってから世界はあっという間に変わっていったからである。

あんなに頑張っても全然幸せを感じることはできなかったのに、捨てたらあっという間に幸せがやってきた。

エゴさえ捨てとけば絶対に大丈夫だなという安心感が今はある。

なので、もしあなたが何かうまくいかないことにぶつかって悩んでいるのなら、「もしかしてエゴを捨てなきゃいけないのかな?」と考えてみてほしい。

でもそう簡単に捨てられるものではない。

そのくらいエゴというものは人にべったりと貼り付いている。

でもあまりにも上手くいかなくて苦しくなってくれば、べっとりとくっついたエゴを捨ててでも苦しみから抜けたくなる。

しかしべっとりとくっついて離れてくれない。

手放そうとしても自分の執着の心がムクムクと頭をもたげてきて捨てさせてくれない。

運良くそこまで到達できたら思い出してほしい。

「瞑想か…」と。

瞑想はべっとりと貼り付いたエゴを取り去ってくれる。

殺人犯の心にべったりとくっついたエゴさえも取り去ってしまう。

もしあなたが英語のリスニングに自信があるならこのドキュメンタリーをみてほしい。

アメリカの中でも最悪と言われていた無期懲役ばかりの凶悪犯を収容された刑務所にヴィパッサナー瞑想の10日間プログラムが導入された時のドキュメンタリーである。

この映像の中で凶悪犯たちの目がウソのように澄んでくる。

それまで何をしても改善しなかった囚人たちが変貌することで、瞑想の力を信じざるを得なくなった看守たちの狼狽の顔を生々しく見ることができる。

映像のリアリティが語るパワーはすごい。

いくら瞑想について説明されてもピンと来なかった人も、このドキュメンタリーを見たらさすがに何かあると感じざるを得ない。

映像にウソがないことは見れば誰だって感じるだろう。

事実、呼吸の家に来てくれた人とはこれまで何回か一緒に見ているのだけど、みんな神妙な顔をして見ていた。

悩みの深い人ほど興味を持って見ていたように思う。

このドキュメンタリーの日本語字幕版のDVDが呼吸の家にはある。

英語がダメでも呼吸の家にくれば見られる。

もし自分のエゴの問題で苦しんでいるならぜひ呼吸の家でこれを見てほしい。

きっと何か感じることがあるはずだ。

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