書く瞑想は座る瞑想と全然ちがう

「書く瞑想」を読んでいる。

ジャーナリングともいうのだけど、ここ数年ずっと気になっていた。

いろんな本で登場し、心理的に劇的な変化をもたらすことが多い。

カウンセラーに相談するわけでもなく、誰かの力を借りるわけでもなく、自分で自分の中の心理的な壁を超えていく。

ずっと気になっていたのだけど、このコミックエッセイを読んで決定的となった。

信じられないほど過酷な環境で育った女の子が毒親という言葉に出会い、ジャーナリングで書く瞑想を続けることで信じらないほど好転していく物語だ。

ジャーナリングについて知る最初の一歩となったのはこの本。

あまりに良かったので2冊買って、娘と毎日読書会をしている。

娘も好きになってくれて夢中で読んでいる。

僕も娘と一緒に朗読するのが楽しくて、毎日読書会の時間が楽しみで仕方がない。

そんなわけで先週から毎日日記を書いている。

自分のためだけに書くのは初めてだ。

5年日記はもう2年続けているけど、毎日何があったかを記録しているだけだから、内面的なことについてはあまり書いていない。

だから内面的なことを日記に書くというのは初めてのことだ。

書いてみると、自分の問題を自分で解決できることに気がつく。

書きながら問いを立てると、不思議と解決策が浮かんでくる。

不思議な感覚だ。

「さみしい夜にはペンを持て」と「書く瞑想」はやりかたが全然違う。

前者は「とにかく10日、自分の心の中に浮かぶことを書いてみろ」という。

「10日書けばわかってくる」と。

まだ僕は5日しか書いてないのでまだ分からない。

「書く瞑想」のやり方はこうだ。

最初はネガティブなことについて書く「放電」

  1. 自分の感情・気分・エネルギーを下げたことについて箇条書き
  2. 今、一番嫌だと感じていることについて文章にする

放電が終わったらポジティブなことについて書く「充電」

  1. 自分の感情・気分・エネルギーを上げたことについて箇条書き
  2. 今、一番良いと感じていることについて文章にする

こうして毎日書き出していき、溜まったものを1ヶ月後、3ヶ月後に見直すらしい。

今日初めて「書く瞑想」のやり方で書いてみた。

ネガティブなことを箇条書きするところでいきなりびっくりした。

「こんな見える形で残る場所にこんな気持ちを書いていいのだろうか?」と躊躇する自分がいる。

躊躇を乗り越えて書いてみると前向きな気持ちになる。

自分の中にある感情を受け入れ、前向きに解決していこうという気持ちになるようだ。

おかげでそのネガティブな感情にどう対処すればいいのかがわかった。

もともと瞑想を通じてわかっていたことだけど、書くことで再認識できた気がする。

座る瞑想を何年も続けてきたけど、書く瞑想は全然違うなと思った。

座る瞑想は不安な感情が出てきたら手放す。

手放すことを続けていくと楽になることに気がつく方法だ。

書く瞑想は手放さない。

目の前に見える形で置き、向かい合う。

向かいあうと解決方法が浮かんでくる。

座る瞑想は手放すことで解決し、書く瞑想は手放さずに解決する方法を模索する。

結果として手放すこともあるだろうけど、手放さずに解決することも可能な方法だと思った。

手放すことは容易じゃない。

強い執着と結びついていたらなおさら難しい。

強い終着は結局ある程度手放さないとうまくいかないだろうけど、全部手放さなくても問題が軟化する方法を模索できるのが書く瞑想のメリットだと思う。

座る瞑想が合わない人の選択肢として動的な瞑想という方法があるけど、書く瞑想という新たな選択肢を手に入れた気がする。

もし呼吸の家に相談に来た人がいたら、その人に合いそうなものを提案できるだろう。

まずは自分自身が書く瞑想について知っていこうと思った。

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