感情の波をいかに起こし、いかに乗り楽しむかを学んだ1週間

今週はなんともドラマチックな1週間だった。

天国に登るような思いになったかと思いきや、感情むき出しの大荒れの状態が2日ほど続き、最後は家族と共に過ごす幸せを噛みしめる、そんな1週間だった。

天国に登るような思いというのはこれのこと。

Appleに何回持ち込みしても直らなかったMacbook Proを自分で分解・修理できてしまったのだ。

なぜ天国に登るような思いかというと、このMacは5年前まで使っていたもので、苦しかったアプリ開発者時代を一緒に過ごした戦友だからだ。

そんな戦友を自らの手で救い出した喜び、それが天国に登るような喜びにつながった。

今もそのMacを使って書いている。

呼吸の家で執筆するときの専用機として、コンピュータ人生をまっとうしてもらう予定だ。

大好きな戦友と共に文字をつづることができて本当に嬉しい。

とはいえ、Macとの幸せな時間はそんなに長く続かなかった。

ここ数年経験したことがないくらいの感情の嵐に襲われた。

奥さんとの関係がうまくいかなくてブチ切れた5年前以来じゃないだろうか。

くわしくは書かないけど、要は我慢していた感情のフタがひとたび外れたら外れやすくなってしまって、怒りまくっていたという感じだ。

だが幸いなことにその対象となった人たち、奥さん・母親・友人、みんなが僕の話を聞いてくれて受け入れてくれて収まった。

「生きていると我慢せざるを得ないことがあるのは仕方がないんだな」

「溜まったことを吐き出すことで楽になるんだな」

「日頃から人間関係が良好なら、溜まっていた感情が爆発しても相手は受け止めてくれるものなんだな」

そんなことに気がついたのだった。

週末は泊まりがけで奥さんの実家に泊まってきた。

東京湾フェリーで横須賀に移動して北進すれば川崎だ。

今週の僕を象徴するかのように海も大荒れで船は揺れに揺れた。

いつもならコーヒーを飲みながら優雅に読書をするのだけど、全然コーヒーを落ち着いて飲めないし、船酔いしそうなので本も読めなかった。

ぐったりしながら下船したが、その夜は面白い夜となった。

義理のお父さんの様子がおかしい。

別人のような顔をしている。

話し出してもすぐにお母さんにプリプリ怒る。

お父さんは昔、脳梗塞をやっているため言語障害がある。

思いをうまく言葉にできない。

主語もないし、話の背景についても話せないし、わからない部分を質問してもうまく返せない。

つまり何について話しているのかわからない。

とはいえそんなライフスタイルを30年近く続けているのだから、そんな急に怒りっぽくなるのもおかしい。

いろいろ聞き込みをしていった結果、最近は足が悪くなってしまったので全然外出していないことがわかった。

以前は原付や自転車で丸一日好きなところへ散歩していた人だったのに、それができない。

家の中でこもっている。

話し相手は奥さんだけ。

その奥さんもお父さんの言いたいことが完全には分からない。

分からないからちゃんと聞かない。

顔見知りだったら、分からなくても聞いてくれるフリはしてくれるだろうし、少なくとも聞こうという姿勢は見せてくれる。

しかしお母さんは聞いてくれない。

知人とかわす会話が家庭内のストレスを緩和してくれていたのに、それがなくなってしまって怒りばかりが募ってしまったのだろうと思った。

どうしてそう思ったかというと、僕と話しているうちにどんどん上機嫌になって、昔のお父さんに戻ったからである。

翌日には表情も以前のお父さんに戻った。

僕もお父さんの言っていることは完全には分からない。

来年で80歳だから、時間と空間の観念も少しずつ歪んできている。

でも僕は分からないなりに必死に質問した。

その結果「こいつ(お母さん)は話すばっかりで全然聞いてくれない」と言いたいのだとわかった。

お父さんは聞いてくれることが嬉しかったのだと思う。

お父さんの足が今後劇的に回復することは考えづらいから、これからもお母さんと家の中で過ごす日々となるだろう。

だからせめて僕らが行くなり、呼吸の家に泊まってもらうなりして義理の両親との時間を作っていこうと思った。

最近は家族との時間を増やせば増やすほど幸せが増幅していく現象が面白くて仕方がない。

今後がどうなっていくのか楽しみだ。

呼吸の家の物件を買ってから今日でほぼ2年。

毎日毎日DIYして、週末は家族と近くの町へ買い物へ行く。

お酒を飲むこともなく、人との交流もほとんどない。

瞑想と読書とDIYばかりしている生活を続けてきた。

慎ましく生きているのでお金にも困らない。

人間関係も良好。

やらなければいけないことはなく、毎日好きなように自分の時間を使える。

そんな暮らしは非常に平和だったし、生まれてきて初めてというくらいの幸せな日々だった。

しかし今週はそんな平穏な日々が破られ、大荒れに荒れた。

大変だったけど、こんな感想を持った。

平穏な日々はいい。

安らかだし幸せだ。

でもその暮らしが面白いか?というとそうでもない。

つまらなくはないけど面白くはない。

じゃあ激動の人生がいいのか?

大変なのが心の底から好きな人ならいいと思うけど、多くの人はそうじゃないだろう。

大変な人生よりも楽で楽しい人生の方がいいと考える人の方が多いと思う。

でもペターッと平穏な人生だと面白くはない。

じゃあどうしたらいい?

感情の波に翻弄されないことだと思う。

感情の波は起きていい。

いろいろと行動していれば感情を波立たせる出来事が起こるだろう。

でもそれに翻弄されない。

波の上にうまく乗り、バランスの悪さを楽しみながら進む。

そんなゲーム感覚が持てるレベルの波はあった方が人生は楽しくなるのだと思う。

激動じゃなくていいけど、それなりに波がある人生。

その方が面白くなりやすい。

少なくともペターッと平穏な人生よりも。

そんなほどよい波が来るように行動量を調整し、ゲームのように波を楽しむ。

2024年はここ2年よりも少しだけ行動量を増やして、感情の波乗りを楽しもうかなと思った。

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