長らくやろうと思っていたけどなかなか前に踏み出せなかった看板製作を終え、ついに表に看板を掲げた。
光を浴びて美しく見える。
外に看板を出すことに躊躇する気持ちがあったのは、地域の人に少しずつ認知されていくからだと思う。
おとなりさんやご近所さんは「なんだろう?」と思うだろう。僕がこういう場所なのだと説明しないと「なんかよくわからない施設になった」という印象になる気がする。
ご近所さんが地域の人と話すときに「うちのとなりにあった家が瞑想スペースっていう名前になったの」という話になることがあるだろう。「なんか時々外の人が来て、半日過ごして帰っているわ」となるはずだ。
噂が広まれば広まるほど謎のスペースということになる。
Googleマップにはもう載せてあるから、地元の若い人の中には気づいている人もいるかもしれない。
「なんかよくわからない瞑想スペースという場所ができている…」
写真もあるし、公式サイトへのリンクもあるから見てくれる人もいるだろう。
でもその人と地元のおじいちゃん・おばあちゃんの会話が交差することはほぼないだろうから、情報が広がることもない気がする。
ここは鋸山とフェリー乗り場のある観光地だから、地元の人が利用しない商業施設がたくさんある。
そういう施設は自分たちに関係がないから、不満があるわけではないが快くは思っていないみたいだ。
コロナ以降はさらに商業施設が増えた。
「また自分たちとは関係のない施設が増えた」と思っているような気がする。
地元の人の話を聞いていると、かつては自分に関係のある商業施設がたくさんあったようだ。
今では考えられないけど、50年前の金谷は熱海とか鬼怒川みたいな感じの「都会から近い温泉地」だったらしい。
小さな遊園地まであったというから驚きだ。
金谷温泉郷と書いてある朽ち果てた看板を見たときには「なにかの間違いじゃないか?」と思ったけど、地元の人に聞くと「そうなんだよ、昔は温泉郷だったんだよ」という。
たくさんの旅館と保養所があり、通りにはお店が並んでいた。
観光客が楽しむ施設で地元の子供達も楽しんだらしい。
その時子供だった人たちが今はお年寄りになっていて、「昔はいいお店がたくさんあった」という。
近所のお店で過ごした思い出が、良い記憶として残っているのだ。
しかし今あるお店はそんなおじいちゃん・おばあちゃんが使うような場所ではない。
おしゃれなカフェやレストランばかりで、地元の人が使う感じではない。
地元だから、非日常を楽しめる環境でもないのだろう。
そんな現状をわかっているから、「地元の人が使えるような場所にならないかな」という思いが僕のなかにある。
遠くから来てくれる人だけでなく、地元の人もホッと安らげる場所にもなればいいなと。
そういうお店は全国にたくさんあると思うのだ。
地元の人に愛され、それを知った遠くの人たちも訪れるようになる。そんなお店が知らないだけでたくさんあると思うのだ。
とはいえ人でごった返すような状態にはしたくない。
ひっそりと隠れ家のように存在し、呼吸の家を大好きな人たちがワクワクしながら路地に入っていく。
そんな路地の先にあの看板が待っていて、たどり着いた人がその表面をなでてくれる。
おととい掲げた看板がそんな風になったらいいなと思う。
今日は娘の授業参観。
気温は低いけど、太陽が輝いていて清々しい。