おかげで僕は破滅的な生き方をしなくなった

今週は、というか昨日は自分の心の闇に対面した日だった。

どうしたんじゃ?

娘のミニバス(小学生のバスケットボール)でチームに馴染めないでいる。

娘はひょうひょうとしているのだけど、僕のほうが困惑している。

なんで困惑しているの?

チームの意識にやきもきしてしまうのだ。

基礎力が不足しているように見えるのに、チーム練習をし、できないことにコーチがどなっていたりする。

「そりゃドリブル2回しかつけない子がたくさんいるし、ステップも踏めないのだからチームプレーできなくて当たり前。まずは個人技の基礎つけないとだよな」とか思ってしまう。

チームの意識の低さに娘が馴染んでしまっていることにもイラついてしまう。

そうだったんじゃな

昨日の練習ではなんだか打ちのめされてしまって、帰りの車では娘と話すこともできなかった。

「このままチームに残っていいのだろうか?」と悩んだ。

でも他にチームの選択肢がない。

せっかく入ったのにやめるのもつらい。

そんなことで悶々として、夜もよく寝られなかった。

今は大丈夫なの?

昨日の夜ほどつらくない。

あんまり眠れなかったけど、瞑想していたから疲れは残っていない。

ネガティブループをぐるぐるすることもなかったから、前向きになってきた。

昔の自分だったら耐えきれずにやめていたと思う。

ネガティブループぐるぐるから抜け出せず、相談できる相手もいなくて短気を起こしていたと思う。

でも今は違う。

まずは瞑想でネガティブループぐるぐるから抜け出せる。

この世を去ったみんなに相談できる。

がんじがらめだった自分からの視点から抜けることができる。

見えなかった希望が見えてくる。

自分一人では思いつかなかったアイデアが絶望から救ってくれる。

「短気を起こさず普通でいろ」

「しばらくなんとなく練習に参加していればいいじゃないか」

「見ていてつらくなるなら見なければいい」

「しばらくしたら突破口は見えてくるかもしれないよ」

死者のみんなからもらったコメントだ。

たしかにそうだと思った。

今はまだ小学3年生。

もっと長いスパンで見たほうがいい。

半年・1年が経てば状況は変わるかもしれない。

変えづらいことを変えようと願ってやきもきするより、今自分にできることだけやればいい。

瞑想をやるようになったこと、死者と対話できるようになったこと。

このおかげで僕は破滅的な生き方をしなくなった。

本当にありがたく思う。

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