瞑想って糠床(ぬかどこ)の管理に似ている

今週は金曜どころか週末にも書かなかったのぉ。どうしたんじゃ?

忙しかったんです。

呼吸の家にお客さんが来まくってたの??

いや、そうじゃないんだw

頼まれ仕事や娘のミニバスの大会が3日間びっちり入っていたんだよね。

1月から暇すぎてモヤモヤしていたから、忙しい3日間は毎日充実感があった。

家族や近所のおじいさんおばあさん以外の人たちと会うと社会と繋がっている感じがする。

今日はそんな3日が終わり、いつもの何もない1日。

「やりたかったなわとびとバスケをやるぞー!」と思ったが、心がついていかない。

疲労しているのだ。

心のバッテリー切れじゃな

こういう状態で頑張っても逆効果になる。

心が疲れた状態で運動すると、心がさらに摩耗してさらに頑張れなくなる。

心が疲れた時は休まなければならないのだ。

しかし、心が疲れているときは眠っても疲れがとれない

朝ごはんを食べてぼーっとしてたら寝落ちしていた。

1時間半ほど経って目覚めたが、あいかわらず心は疲労しているし、体も重かった。

10時になり、体育館に行く時間になったので出ようと思ったが、こんな疲れた状態で行っても仕方ないと思い、ちゃんと瞑想することにした。

お日様のポカポカを浴びながら目を瞑る(つむる)。

光を眉間で感じながらまずは呼吸に気持ちを向ける。

しばらく経つと呼吸がふっと楽になる。

さらにしばらく経つと内臓がふっと楽になる。

ここまで来たら体の感覚を頭から腕、胴体・足へと向けていく。

全身に感覚が広がり一体感が出たら、もう一度眉間の光の間隔に戻って体の一体感を味わう。

自然と笑みがこぼれてくる。

幸せな感覚を味わう。

今ここにいるだけで幸せ。

ありがたい。

そうなったらおしまいだ(いい意味で)。

目を開けると30分経っていた。

太陽の光が瞑想をサポートしてくれた。

体の心地よさを早く目覚めさせてくれるのが、太陽の暖かさだったり季節の匂いだったり鳥のさえずりや蝉の鳴き声だったりする。

体を動かす元気にあふれていた。

すぐにでも家を出て体育館に行こうと思ったのだけど、まずはこの幸せな気持ちをブログに書こうと思って今にいたる。

心地よさの中にいると筆が進む。

ここまでピアニストのようにスムーズに書いた。

キーボードを叩く感覚と音が心地よい。

流れているジャズの音も心地よい。

何か特別なことなどなくても、今ここにいるだけで喜びにあふれることは可能なのだ。

実をいうと明日から週末までまた毎日用事が続く。

毎日暇だった1ヶ月がウソのようだ。

忙しくしていると心の中にゴミが溜まる。

それを放っておくと心の疲れにつながっていく。

朝起きた時と寝る前に瞑想をしていても十分ではないらしい。

そんな時は早く疲れた心に気づいて昼間に瞑想…、と言いたいところなのだけど、忙しいとそれどころじゃないのだと今回思った。

静かに瞑想できる環境があってこそしっかりとリセットできるのだ。

週5でフルタイムで働いていて、瞑想習慣がなかった過去の自分。

「そりゃ心がおかしなことになるはずだよね」と思った。

断食や裸足ランニングで心のバランスをとっていた時もあったけど、継続性という点でどちらも弱かった。

断食は頻繁にしたいとは思えないし、裸足ランニングは心地いいけどやりすぎて足腰を壊した。

瞑想にはそんな問題点がない。

毎日やっても体を壊さないし、毎日やることが苦にならない。

さっきの瞑想中こんなことを感じていた。

「生ゴミが腐敗しないようにかき混ぜているような感じだな」

バイオコンポストでは電動のヘラで生ゴミをかき混ぜ、空気を入れることで発酵菌を活性化させる。

発酵菌が元気であれば腐敗菌の勢力が育たないのだ。

瞑想は似たようなことを呼吸を通じてやっているのかもしれない。

腐敗しそうになっている心に空気を入れ、かき混ぜているのだ。

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