つらいことや悲しいことを経験するたびに今ここの感覚が育っていく

つらいとき、悲しいとき、怒っているとき。

そんな時に瞑想をすると雑念が浮かんでくる。

呼吸に集中していたはずがすぐに雑念にさえぎられ、呼吸から離れていたことに気づく。

そんな瞑想をずっと続けていくうちに気がつく。

「過去も未来も存在しない。今以外はすべて幻想なんだ」

今この時、僕らはあらゆる豊かさに触れている。

生きるのに十分な空気があり、飲み水があり、死なない程度の温度に包まれ、光にも恵まれ、この世界が育んでくれた食べ物に困ることもなく、飢えも感じず、無数の生き物に囲まれている。

そんな豊かさを感じるとき、実は今十分に幸せなのだと気づく。

存在しない過去や未来の幻想に苛まれているとそんな今すでにある豊かさに気がつかない。

瞑想はすでに幸せであることに気がつかせてくれるツールである。

だから僕は瞑想をする。

幻想や妄想から抜け出すために。

すでに恵まれていて豊かで幸せな自分の今を思い出すために。

それでも現実を生きているとつらいこと・悲しいことに出くわす。

ままならぬ現実に直面することがある。

そして瞑想すると、起こった過去に苛まされている自分に気づく。

今という幸せから離れていた自分に気づく。

昨日はつらいことも悲しいこともあっていいのだと思えた夜だった。

つらいこと・悲しいことが起こるたびに濃くなっていく今という幸せに気がついたのだ。

瞑想しているときの幸せな感覚をどんな時も持ち続ければいいと気がついたのだ。

瞑想中に雑念に気づいて呼吸に戻っていくように、瞑想をしていないときも今ここから離れている自分に気づき、今という幸せの感覚に戻ればいいのだ。

そう思ってから頭のなかによぎったのは、「もし瞑想していなかったらこれに気がつくことはなかったな」ということだった。

今この瞬間、過去や未来という幻想から解き放たれて、すでにある豊かさに気づき、肉体感覚を通して喜びを感じるということは瞑想なしに気づくことは僕にはできなかったからだ。

しかし同時に昨日は別の発見もした。

音楽には気づきのない瞑想のような側面がある。

音楽を聴きながら運動をしていたら過去や未来が消えた。

音と体の感覚と、それにともなう喜びしかなかった。

瞑想で今を味わっているときの喜びに近いものがあった。

僕はつらいこと・悲しいことがあったときもそうじゃないときも毎日瞑想を続けた。

その結果今ここが与えてくれる喜びを知った。

過去は幻想でしかなく、今ここにあり続ければどんな出来事も消え去り、喜びに変わるのだと知った。

瞑想をしない人は音楽で運動、その他のアクティビティで今ここを感じて癒されているのだろう。

ただ大事なのは過去も未来も幻想だと気がつくことだと思う。

今すでに豊かで幸せだと気がつくことだ。

瞑想以外の方法でそういった気づきが肉体レベルで起こるのだろうか?

そんなことを今日は考えていた。

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