たとえAIが進化しても僕にできること

近所のおじいさんが貸してくれたクリント・イーストウッド監督の映画を見た。

腐敗した警察がはびこる1928年のロサンゼルスで実際にあった事件をもとにした作品。

仕事から帰ったシングルマザーの主人公。

しかしいるはずの息子がいない。

夜に外出するような子じゃないから、いなくなるわけがない。

すぐに警察に捜査を依頼するがまともに動いてくれない。

5ヶ月後「息子さんが見つかりましたよ」と連絡が来たので会いに行く。

ところが全然似ていない他人だった。

「息子じゃない」と訴えても「本人がウォルター・コリンズだと言っている」と言って警察はとりあわない。

実際その子供も「ぼくはウォルター・コリンズです。住所は〇〇」と言う始末。

警察が腐敗した社会がどんなに恐ろしいことかをまざまざと感じた。

見ている間は手に汗握っていたが、見終わったときは絶望と救済が入り混じったなんとも言えない気持ちでボーっとしていた。

尿意をもよおしたのでトイレへ行った。

ことがすんでホッとしていたら言葉が浮かんできた。

「この気持ちはAIには表現できない」

AIには日頃お世話になっている。

めんどくさいことを圧倒的に楽にしてくれた。

しかし進化すればするほど思う。

「人間にしかできないことってなんだ?」

AIは論理的に考えることに関しては天才だ。

囲碁の天才でさえ、AIにはかなわない。

おそらくAIが会社の経営者より天才的な戦略を考える日も近いだろう。

しかし感じること・ひらめくことは現時点では無理だ。

コンピュータが人間の脳内と同じ処理をするには、2800万倍の電気を必要とすると言われているそうだ。

技術者たちの努力により、「考える」ことはコンピュータでもできるようになった。

でも「感じる」という能力はまだ全然再現できていない。

人間のように感じる能力をコンピュータが得るにはどれだけのハードとソフトとエネルギーが必要なのだろう?

実現する日がくることもあるのだろうか?

少なくとも僕が生きている間はコンピュータが人間の心を理解する日は来ない気がする。

ということは、映画を見たあとのこの感動をAIがネット上にアップすることはできないわけだ。

僕は今、AIにはとても実現できないようなことをやっている。

そう思ったら、今感じていることがなんと尊いものだろうと思った。

AIが進んでいくこれからの時代。

ネットに上げるべきは考えたことではなく、感じたことなのかもしれない。

こればっかりはコンピュータにはできないから、「情報を提供してくれてありがとう」と、AIに感謝されるかもしれない。

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