なぜ僕は瞑想と呼吸を伝えていきたいのか再確認できる出来事があった

今日は澱んでいる。

昨日娘の小学校の担任の先生から電話があった。

クラスでちょっとしたトラブルがあったらしい。

娘の斜め前の女の子が小さなノートを1人で見ていた。

普段は見せてくれるノートなので気になった娘はそばに寄って「見せて」と言ったらしい。

しかしその子はノートを机の中に隠した。

普段なら見せてくれるノートを隠したので気になった娘は、机の中に手を突っ込んで見ようとしたらしい。

それを嫌がったその子は娘の手をタオルで叩いた。

その振り回したタオルが他の男の子にも当たって口論になり、その女の子が泣き出してしまったらしい。

まぁ娘が悪いなと思った。

隠したのだから見て欲しくないということだろう。

その気持ちを汲み取れず、尊重できなかったわけだ。

相手の意志ではなく、知りたいという自分の欲望を優先した。

この話を僕と奥さん、娘と3人で話したのだけど、最初なかなか話そうとしない。

奥さんは学校の先生からだいたい聞いているのだけど、僕らは本人の口からまずは聞くべきだと思ったので話し出すのを待った。

しかしなかなか話さない。

何か言いづらい理由があるのだろうと思ってしまった。

怒られることを恐れているのだろうか?

結局僕は怒った。

何も話さないことに。

話さずにうやむやにしようとする態度に。

今までうやむやで済ませてしまってきたことのツケがきていると思った。

甘やかしのツケが。

奥さんに逃げれば逃げ切れる。

そういう計算が働いている。

だから黙秘することでうやむやにする作戦に慣れてしまっている。

この悪習慣は断たなければいけない。

逃げ切れるという卑怯な気持ちを育ててはいけないと思った。

勇気を出さない習慣を育ててはいけないと思った。

「話すまで外にいなさい。出ていけ」

奥さんにも言った。

「黙っていれば逃げ切れるといういつもの作戦は今日は通用しないと伝えないといけないと思う」

奥さんも同じ思いだったようだ。

「私も今日はこのままにしちゃダメだと思う」

一人娘だからどうしても甘やかしてしまう。

その気持ちはわからなくもない。

しかし甘やかしていいところと甘やかしてはいけないところがあると思う。

ここに関して今まで奥さんと僕の間には考え方の相違があり、僕の考えを押し付けることはできなかったのだけど、ようやく僕の考えを奥さんもわかってくれたように思えた。

僕は「話すまで帰ってくるな」と言ったが、奥さんは「ちょっと2人で散歩してくる」と言って2人で出ていった。

帰ってきて娘はしっかりと話してくれた。

外で2人で発声練習をしながら歩いてきたらしい。

話そうとするよりまずは体を動かす。声を出す。

体が動いて声が出れば話せる気がしなかったのに話せるようになる。

奥さんはさすがだった。

僕の方が視野が狭くなっていたようだ。

娘は話した。

言葉がうわずっていたが、勇気を振り絞ってしゃべっていた。

真実を話すことは難しい。

後ろめたいことがあると保身の気持ちが出てつい自分に有利な証言をしてしまいそうになる。

自分に有利な証言をしたとして、もしそれが通ってしまったら、自分の偽証が他の人を陥れることになる。

真実を話さないことは人を陥れる卑怯な行動となりうる。

僕はかつて卑怯でずるくて弱かった。

自分可愛さに卑怯なことをしたことが何度もあった。

自分だけいいカッコしようとして、人に「ええカッコしい」と呼ばれたこともあった。

そんな自分が嫌だった。

弱さゆえについそんな行動をとってしまうと自己嫌悪に陥った。

辛かった。

娘にはそんな辛い思いをして欲しくない。

わざわざ弱さ、狡さ、卑怯さを身につけて自分を傷つけるような経験をして欲しくない。

学ぶには多少の経験は必要だが、ドツボにハマって抜ける苦労をして欲しくないと思ってしまう。

親のエゴなのか?

余計なことなんだろうか?

いや、そんなことはないと思う。

人は誰だって弱さを持ちがちだ。

でも子供のうちに親に愛され、勇気を持てれば弱さを乗り越え、失敗を糧にして教訓に変える強さを身につけられると思う。

もしそういう手を大人が差し伸べなければ弱い人間がたくさん増えてしまって非常に住みづらい社会になってしまうと思う。

過剰な介入はやりすぎだし、介入の結果人格がねじれてしまうのは違うと思うけど、手を差し伸べることで勇気を持ち、強く生きることができるならそれのほうがいいと思う。

そんなことがあったので、昨日の晩は妙に神妙なポストをしていたのだ。

おかげで昨日からちょっと感傷的なのだけど、落ち込んで鬱になることもない。

今はバランスが崩れそうになっても崩すことはなく、その状態を観察し続けることができる。

瞑想のおかげだ。

今もまだちょっと澱んでいるのだけど、全然心配はしていない。

しっかりと瞑想すれば、生かされている喜び、この世界との一体感に包まれ、正気に戻ることができる。

絶対に大丈夫だ。

瞑想に出会えて本当によかったと思う。

心のバランスを崩してどうしようもなくなることはまったくなくなった。

どんなに澱んでしまうことがあっても絶対に大丈夫と思える。

不安定な状態から転落してしまうと途方もなく苦しくなる。

今ならわかるが呼吸の苦しさが苦しさを生む。

だから僕は心のバランスを崩してしまって苦しみにある人に瞑想を伝えていきたい。

心のバランスを呼吸によって取ることを伝えていきたい。

心のバランスが崩れたら、まずは呼吸によって体を整えればいいのだと伝えていきたい。

伝えたことで「もうどんなことがあっても大丈夫です」と笑顔で言える人が増えていったらいい。

かつての僕のように「どうしたらいいんだ!?」と思っていた人が「こうすればいいんだ!」と確信を持って自信を持って生きていけたら嬉しいと思う。

呼吸の家はそんな人たちのためにある。

書いてたらなんか幸せな気持ちになってきた。

この気持ちを知ってほしいんだ。

【6時間後追記】

昨日の娘との話し合いの問題について、Xで知り合いのお姉さんがコメントしてくれた。

このあと何回ものリプライ合戦の結果、こんな結論が出た。

普段は気軽に話しているのに、ちょっと真剣に話さなければいけないと感じるとやたら深刻な空気を作ってしまうクセが僕にはあると思った。

奥さんにも昔から言われていたけど、クセだし、どうしても真剣になってしまう性格だからなかなか直せずにここまできた。

奥さんとの話し合いだったらなんとかいいと思うけど、娘との話し合いではあまりにも威圧を与えてしまうのだろうと思った。

次回はみんなで散歩しながら話そうという結論になったが、それこそ呼吸の家でリラックスできる雰囲気で話してもいいと思った。

コンビニまで買い物に行ってスイーツと飲み物買ってきて、ちょっとしたカフェタイムを楽しむ感じで「状況を話してみて?」というなら今までとは違う結果になるかもしれない。

この間の「目標立てるとおかしくなっちゃう問題」でも、最後は年上のおねえさんに相談してもらって楽になった。

今回も娘との話し合い問題で年上のおねえさんの相談で楽になった。

年上のお姉さんたちの話を聞く能力すごい。

ありがたくてしかたない。

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