20年もがいてやっと見えた「自分の大好き」を仕事にする方程式

今朝はこんなことに気づいた。

今月から #自分の仕事をつくる会 を友達と一緒に開催するようになって、「自分の事業を作るって何?」「自分の大好きを仕事にするって何?」と考えることが多かったからだろう。

僕の半生はまさに「自分の大好きをどうやったら仕事にできるだろうか?」と考え、模索し続けてきた半生だった。

28歳で会社を辞めるまでは自分の将来なんて考えたことさえなかった。

仕事が大好きで、「このチェーン店を日本一アルバイトが幸せなチェーンにする!」と経営者も立ててもいない方向性で勝手に目標を立てて爆進していたから。

その夢に向かって爆進して少しずつ形になってきたと思ったとたんに足元からすべてが崩れ去り、28歳夢なし無職という1人の男が誕生した。

「仕事とは面白いもの」と父親の背中から学んだ価値観が染み付いていたから、情熱を傾けられる仕事、大好きな仕事を求めて彷徨った。

日本中を放浪して今まで自分が見てこなかった生き方を見て回ったり、興味のあるアルバイトをやってみたり。

途中一回就職もした。

ものすごい高待遇でホワイトな会社に入ったが、社長のやり方を批判したら1ヶ月でクビになった。

その後も興味のあるアルバイトをいろいろやったが全然続かない。

いつも人間関係のトラブルになってしまう。

アルバイトが高い理想を持つのは現場にとってはうっとおしい。

しかし僕はクセでアルバイトであっても夢を持ってしまう。

結局このクセが人間関係のトラブルを起こす問題は、一流ホテルでバイトをすることで起きなくなった。

高い志を持っている現場なら僕でも働き続けることができると知った。

しかし一流ホテルでウエイターとして働くことは僕の大好きではなかったし、一生の仕事とは思えなかったから、ホテルのウエイターを続けながら自分の好きを探求した。

  • 学生バスケの全国大会を撮影し、編集するバイト
  • バイクメッセンジャー(自転車のバイク便)
  • 米軍基地でアメリカ人の友達と日本語教室開催
  • iPhoneアプリやゲームを友達と作ってリリース

全部楽しかったが一生の仕事だと思える仕事にはならなかった。

こんな模索の日々を過ごしていたら40歳を過ぎていた。

28歳で会社をやめてから12年以上も経っていたわけだ。

その後も千葉県の田舎、今住んでいる富津市金谷に引っ越し、フリーランスとして自分の大好きを仕事にできないか模索してきた。

  • ブロガーを目指してみたり、
  • 田舎フリーランス養成講座の講師をしてみたり、
  • イラストレーターの真似事をしてみたり、
  • ウェブ制作をやってみたり

裸足ランニング用の自作サンダル「ワラーチ」を作って発信していたら、ナイキのCMを作っている会社からワークショップの開催依頼を受けて実際に開催した。

あの時が一瞬だけど「大好きが仕事になる」幸せを感じた時だろう。

でも全然その後は結実しなかった。

転機は44歳の時に訪れた。

知人から「人がいなくて潰れそうな老舗の断食道場が人を探している」と連絡があった。

先代がなくなって娘が後を継いだが従業員がいないらしい。

「ピッタリの人がいると連絡しておいたから会ってみないか?」

というのである。

それが今は大人気断食道場となった 断食道場はぎのさと である。

1人では再建できないと思ったので、そのころ脱サラして僕と一緒に自給自足YouTubeをやっていた みす もセットで雇ってくれないかとお願いした。

この時一緒に断食道場で働いた相方のみすも実は「自分の大好きを仕事にできないか」と模索してきた人。

もともとはこんな感じの青年だった。

プロのヴィジュアル系バンドを結成し、作詞・作曲・ボーカルを担当していたスーパーマンである。

高校を出てからバンドを続けプロになったが30歳を前にやめ、人の縁でIT企業の会社員になった。

フリーター時代・バンドマン時代のサバイバル経験が脳力を鍛えたのか、「彼の負けない技術」はすごい。

死なない技術というのか。

死にそうな状態から復活させるのもうまいし、死なないように延命させるのもうまい。

そんな天才的な頭脳があるので、あっという間に会社の役員になった。

20代後半なのにである。

しかし彼もまた会社に未来は見ていなかった。

バンドの夢を捨て、会社に入ったが一生の仕事とは思えない。

自分らしい生き方を求めて会社を辞めた。

役員だったからそう簡単にやめられなかった。

辞めると社長に伝えてから半年間も耐え忍んだ。

その根性は並々ならぬものがあると思った。

そうして会社を辞めた彼は僕と一緒にYouTubeを始めるというバカ丸出しの再スタートを切った。

その時のチャンネルは今でも残っている。

できれば見て欲しくないが、どうしても見たい人は覚悟して見てほしい。

※ 僕とみすがやっていた自給自足チャンネル「高波注意報

彼と一緒に働き始めた断食道場はメキメキと力を取り戻していった。

もともとコンテンツが神がかっているのだ。

  • 亡くなった先代が始めたオガクズ酵素風呂と酵素ドリンク
  • 息子によって芸術品のレベルまで高められた酵素ドリンク
  • 娘が長年研究し続けてきたリンパ流しと温熱療法

親子3人で作ったものすごい宝が3つも組み合わさったとんでもないクオリティの断食道場なので、従業員さえ戻ればお客がくるのは当たり前なのだ。

半年やって再建の目処が経った頃、僕は自分のエゴが組織内でぶつかることに気づき、断食道場を辞めた。

自分の大好きが初めて仕事になった経験。

とほうもない幸せを経験したが、エゴの問題を乗り越えないと自分の大好きを仕事として続けていけないことを知った。

みすはその後も断食道場の仕事を続けながら、不動産投資家としての道を歩んだ。

今ではおそらく7つの戸建を所有している。

賃貸として貸し出したり、シェアハウスにしたりして、人生を謳歌している。

めちゃくちゃ前置きが長くなったがここからが本題である。

この記事の冒頭で今朝のツイートを載せた。

20年もがいたことで見えてきた
【自分の大好きが仕事になるパターン】

🔸お金にならなくても大好きなことをやりつづける

🔸無理にお金にしようとしない

🔸そのことについて発信する

🔸最低限の生活費は別の仕事で稼ぐ

🔸生活費を稼ぐ仕事になるべく時間をかけない

🔸最低限の生活費のレベルを下げる

🔸自分の大好きと発信にかけられる時間をどんどん増やす

この条件に合致してる人はセンスのいい人だと1年以内に芽が出てしまう🌱

センスなくてもこの条件に合致してれば3年くらいで芽が出てくる気がする🌱

結局自分の大好きだからセンスはある程度あるんだよね

センスないってことはない

センスなく見えるのはこの条件をクリアしてないか急ぎすぎてるからだと思う

ただしこの条件をクリアするのに本気や根気力が必要

だからこれらをクリアできたならセンスはあるんだってことで間違いないと思う✨😄

自分でいうのもあれだが、この7つのステップはけっこうすごいと思う。

このステップをすべてクリアしていれば、少なくとも3年以内に人生は思いもかけない方向に流れる。

なんで僕が3年以内としたかというと、ブログを始めてから断食道場に誘われるまでが3年弱なのである。

それまでの15年ほどはこの7つのステップをちゃんと踏んでなかったし、ちゃんとステップを踏めた時に人生の流れが変わり始めたと思うからである。

ちゃんとステップを踏まなかった例としては、

  • 無理にお金にしようとする
  • 発信しない
  • 生活費を稼ぐ仕事に時間を使いすぎる
  • 大好きなこと以外で余計な出費をしているので働く時間が増える
  • 余計な付き合いにお金と時間を使う
  • 空いた時間を自分の好きなことは発信以外に使いすぎる

などである。

もしあなたが自分の大好きを仕事にしたいと思っていて、これらに当てはまるのならちょっと見直してみてほしい。

時間とお金を惜しみなく自分の大好きに注ぎ、それ以外にはできる限り注がない。

追求していく過程を外に向けて発信する。

これができるようになれば勝手に芽は出てくる。

すぐではないけど、数年以内には出てくるはずである。

でも大好きが仕事になるとはとても思えないようなケースもあるだろう。

僕の場合がそれだった。

会社を辞めたあと、大好きを仕事にしたいと思ったが、大好きなものがバスケしか思い浮かばない。

バスケでプロになる?

ありえないだろ…

僕は死ぬほど下手なプレイヤーだった。

高校は東京都でベスト8に入るくらいの強豪校だったが、僕は全然だった。

チームプレイも個人プレイもさっぱりである。

でもなぜかバスケが大好きなのだ。

あれほどうまくできないのにどうして好きなのかわからないが熱狂的にバスケが好きだった。

しかしバスケのプロなんて今でこそパリオリンピックに出場が決定して盛り上がっているが、20年前にはBリーグさえなかった。

BJリーグというという実業団バスケからドロップアウトした人たちが作ったプロリーグがようやく生まれたころで、その頃の様子はスラムダンクを描いた井上雄彦さんが「リアル」という作品で描いている。

どうしたらいいかわからない僕はどういうわけかこの漫画を読んで「プロになる可能性は1%くらいあるんじゃないか?」と思ってトレーニングに励んだが、全然うまくならなかった。

うまくならなかったうえに体を壊した。

まともに歩けなくなった。

そこから僕の大好きが新しくうまれていくわけだが、その後の流れはこのツイートに書き込んだので興味のある人は読んでほしい。

大好きはバスケだけでもいいのである。

仕事になりそうにない大好きしか思いつかなくてもいいのである。

その大好きが何かのきっかけで別の大好きを生み出す。

僕の場合は断食であり、裸足ランニングであり、瞑想だった。

もともとがバスケだったと誰が連想できるだろう?

自分の大好きが仕事になるまでには時間がかかる。

世界的に有名になった人たちだってみんな時間がかかっている。

時間とお金を大好きに注ぎ込んできたはずだ。

イチローも中田英寿も井上雄彦も鳥山明もみんなそうである。

彼らはラッキーなことに自分の大好きがそのまま形になった。

でも紆余曲折をへて別の大好きが仕事になった人たちだってたくさんいる。

ぱっと思いつくのがバスケしかないので申し訳ないが、この間のバスケワールドカップで日本人もびっくりの活躍をした帰化アメリカ人選手ジョシュ・ホーキンソンはアメリカで野球選手の夢をあきらめてバスケに転向しているし、

NBAで長く活躍しているアンドレ・イグダーラという選手はなんと陸上選手としてのキャリアを捨ててバスケの世界で成功した。

みんな大好き10種競技の武井壮もそのパターンだ。

彼の場合は10種競技でも成功し、お笑いでも成功したけど、10種競技では生活できずにたいへんな試行錯誤を経て今の地位がある。

あんまり有名人ばかり出すと現実味がなくてちょっと引いちゃうけど、世の中には自分の大好きを仕事にしている人がたくさんいる。

しかし残念ながら大多数がそうであるとは言えないのが今の日本の現実だろう。

でもこの7つのステップを守れば大丈夫。

あなたも絶対自分の大好きに辿り着き、そして大好きな仕事を手に入れる。

🔸お金にならなくても大好きなことをやりつづける

🔸無理にお金にしようとしない

🔸そのことについて発信する

🔸最低限の生活費は別の仕事で稼ぐ

🔸生活費を稼ぐ仕事になるべく時間をかけない

🔸最低限の生活費のレベルを下げる

🔸自分の大好きと発信にかけられる時間をどんどん増やす

大好きを仕事にするなんてこんなシンプルなものなのだ。

大変なのは「生活の何を捨て、何を得るか」なのだ。

これからも僕は「自分の仕事をつくる会」に呼吸の家を提供していこうと思う。

自分の大好きを仕事にしたい人は要チェックである。

(自分の仕事をつくる会について書いた日記はこちら

この間から「レンタル一緒に考える人」も始めたので、予約ページから予約してほしい。

楽しい時間になること請け負いである。

(レンタル一緒に考える人について書いた日記はこちら


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