笑顔で暮らす。ただそれだけで幸せは寄ってくるのだ

今週はひさびさにお客さんが来た。

年明けにポンポンと予約が入り、「これから忙しくなるのか?」と思ったら見事に止まり、後半は誰も来なかった。

このお客さんは20日ぶりのお客さんである。

1月から3月は海女さんを送迎するバイトもないから僕は完全にフリーである。

ニート界のエリートといってもいい。

パーフェクトニートである。

とはいえ、ときどき友達のエリックが家の修繕バイトに呼んでくれたりするので週0.7(週一以下という意味)くらいで出かける用事はあるし、呼吸の家のDIYもぼちぼちやっているので暇なようで暇ではない。

遊ぶように暮らしているだけである。

しかし今週は本当に暇だった。

DIYをやろうにも寒すぎる。

都心では大雪だったらしい。

ここは全然降らなかったけど、こういうときは家にこもってぬくぬくしているに限る。

呼吸の家にこもって何をしているかというとこんな感じである。

最近はウクレレの練習にもハマっている。

Yusicianというアプリを使うと楽器の練習が楽しい。

ひとつくらい楽器が弾けたほうが楽しいだろうと思い続けているので、暇なときにウクレレを弾いて楽しむ優雅な老人を目指そうと思う。

昨日は3日ぶりに晴れたので、外に出てブレボ(2輪のスケボー)の練習もした。

10年くらい前に子どもたちの間で流行ったこれである。

娘がいとこのお下がりをもらってきて練習していたら自分もやりたくなった。

体幹をねじるのでとてもいい運動になる。

しかし家の前でひとりで練習しているとちょっと恥ずかしい。

誰もいないし、いたとしても何も思ってないと思うのだが、「いいおじさんが昼間から何してんだ」と思われているような気になる。

30代前半のとき、毎日屋外のバスケットボールコートに通っていた頃があった。

埼玉県の片田舎のでっかい公園にあるバスケットコートなのだけど、そもそも公園に全然人がいない。

昼間は学生もいない。僕だけのコートだった。

ところがそんなコートに時々現れるおじさんがいた。

40代後半と思われるバスケ未経験のおじさんだった。

しゃにむにドリブルをつき、不格好にシュートを打つ。入らない。

元気にリバウンドに飛び、振り返って再びシュート。やっぱり入らない。

とにかくずーっと下手くそなのだけど、夢中でプレーしていた。

今の僕がまさにそんな感じだ。

40代後半、スケボー初心者が昔子供の中で流行った(大人は乗らない)2輪スケボーで不格好に練習している。

あのおじさんの気持ちが今はわかる。

周りがどう思うかは少し気になるけど、やりたいことをやりたいのだ。

そしてきっと暇なのだ。

ありあまる自由な時間を好きなように使いたいのだ。

もしかしたら違うかもしれないけど。

そんな子供のような暮らしをしている僕を見て、奥さんは文句を言わない。

「ちゃんと働きなさいよ」

「稼がないでどうするの?」

普通の家庭なら奥さんにそう言われるらしいが、そんなことを言われたことがない。

3年前までは勝手に自分が「働かないでどうする」「俺が稼がないでどうする」と思って必死にやっていたけど、必死になって働いてもうまくいかないのでやめてしまった。

必死になって働くことで奥さんの幸せとは離れていくことを知ったからだ。

奥さんにとって大切なのは僕が家族のそばにいて、一緒に時間を過ごすことだった。

崩壊寸前だった我が家だったが、ぼくが頑張るのをやめたらお互いの傷は癒やされ、子供が生まれる前の仲が良かった2人に戻った。

会話できる関係になった。

産業革命が起こり、ペリー来航から西洋に追いつけという時代を経て、気がつけば日本も資本主義に染まり「お金がないとなんとなく不安」という感覚が広がった雰囲気がある。

僕は20代前半のころ、「貧乏を経験したいです」と会社の先輩に言っていた。

偉人の伝記を読むのが好きだったのだけど、貧乏を経験している人は人間として強いと感じたからだ。

そのころの僕は自分の中に弱さを感じていた。

心のなかにあるグニャっとした軟弱な部分を感じていて、運動による鍛錬では克服できないと思った。

求めると叶う。

貧乏を経験したいという僕の願いは叶えられた。

30代から40代にかけて15年ほどいつもお金の不安がつきまとった。

家族がいるのに3年連続で家賃が払えなくなりそうな状況にも直面した。

そうして僕は貧乏とは何かを悟った。

「足りないと思って不安に思う心」

この心に振り回されることが貧乏なのだ。

今は暇だし仕事もほとんどしていないけど貧乏ではない。

生活保護受給者よりもはるかに収入は少ないけど豊かである。

気がつけば呼吸の家も手に入れたし、支出が少ないのでなんとか生活できている。

タバコも吸わないし酒も飲まない。

人との交流もほとんどないし、旅行もできない。

出かけるとしたら埼玉の実家に行くか、車で40分かけて行く図書館とスーパー銭湯とお腹いっぱい食べられる中華屋さんに行くことくらいだ。

そんな暮らしだけど、家庭内には笑顔が溢れている。

元気で幸せそうな娘。

大好きな本を好きなだけ読める奥さん。

大好きな呼吸の家でやりたいことをやって暮らす僕。

これでいいんだと思う。

笑う門には福来たるという。

きっと上機嫌で暮らしてれば豊かさは勝手に近づいてくる。

今の僕の暮らしがまさにそんな感じだ。

どういうわけか生活するためのお金は入ってくる。

そんなお金をありがたく使わせてもらう。

笑顔で暮らす。

ただそれだけで幸せは寄ってくるのだ。

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