急がなければ大抵のことは楽しいのだ

今週はボロボロだった玄関のベンチを新調した。

ブロック塀をきれいにし、看板をつけ、門扉もかっこよくしたが、玄関先にボロボロのベンチがあるとがっかりな感じだった。

ベンチがきれいになったらほかのアイテムたちもさらに輝いて見えるようになった。

丁寧に直したものに囲まれていると、モノから愛を受け取れる。

「大切にしてくれてありがとね」

そんな気持ちが伝わってくるような気がするのだ。

人間も同じだろう。

新しい人間関係を大事にするのもいいけど、古い人間関係を大事に育てていくと人から愛を受け取れるようになる。

自分の人生を振り返ると、仕事もプライベートもあんまりきれいに終わることができないことが多かったから、その度にリセットされていた。

おかげで10年以上続くような古い人間関係が全然ない。

でも田舎に引っ越してきてからは変な形で仕事を終わらせることがなかったから、心地よい人間関係がずっと続いている。

生き急ぐことがなくなったら、人間関係も良好になった。

競争社会で何者かになりたい人たちの中に生きることって、何かを取りにいこうとするけど、結局時間が経ったときに何も残らないのではないかと思う。

振り返ったときに過不足ない生活と豊かな人間関係が残れば幸せを感じるし、そうじゃないと虚無感を感じる。

どんなに豊かになって名声を得ても、人間関係に恵まれていなかったらあんまり幸せは感じられないのだ。

ベンチを作りながら、ニンテンドーDSの修理もした。

古物商をやっているおちゃねこさんというお友達がくれたもの。

もらったときは液晶がちゃんと映らなかった。

今は中国のAliExpressというサイトでその手のパーツは格安で手に入る。

昔は中国からの商品は届くまでに2-3週間かかっていたけど、今はなんと1週間以内に届いてしまう。

1週間なら全然待てる。

むしろ届くのがワクワクしていい。

アップル製品やニンテンドーのゲーム機の修理には専用ドライバーが必要なので、思い切って特殊ドライバーセットを注文した。

Macの修理やiPhoneの修理は今後もやりそうだし、ゲーム機の修理もおもしろいので買っておいていいかなと思った。

10日ほど前にプレステの修理に失敗したので緊張した。

ニンテンドーDSは小さなボディーだから、すごくパーツが細かい。

基盤にみっちりとパーツがくっついている。

小さくて細いからちょっと無理をしたらすぐに壊れてしまう。

丁寧にやった。

時間だけはたっぷりある。

プロじゃないから費用対効果も考える必要がない。

急がなければ大抵のことは楽しいのだ。

2時間近くかけて分解し、液晶パーツを交換し、すべて元に戻す。

細くて薄いテープみたいなケーブルをつなぐのが難しかった。

切れたら使えなくなるし、ちゃんと奥まで差さないと機能しない。

老眼が進んだらとてもできない作業だと思った。

組み立てて電源を入れるときは緊張する。

「うまくいってくれ!」

祈るような思いだ。

今回は成功した。

うれしかった。

液晶はきれいに直ったものの、ゲームをやってみると、方向キーが効かなくて再度修理した。

さらにプレイしたらLRボタンの効きが悪くてまた分解した。

でも繰り返すうちに緊張はしなくなっていった。

緊張しなければ疲れない。

慣れてくるからスピードも上がる。

仕事も本来こんな感じで上達していくのがいいと思う。

営利目的が強めの仕事は効率を求められる。

早く安く良いものを。

でも早くやることは成長を阻害するように思う。

早くやることが苦痛にならない人、成長意欲や目的意識がやたらに高いひとはいいけど、そうじゃない大多数の人たちは急ぐことを楽しめない。

楽しめないから上達も遅い。

気づくべきポイントにも気づきにくくなる。

生き急がなくなってからのほうが、いろんなスキルを楽しみながら身につけている気がする。

こんなに毎日のんびりと好きなことをやっているだけなのに、暇を埋めるために楽しみながらやっていることがスキルに繋がり、部分的に生活の糧にさえなっている。

今の暮らし、昔の自分が見たらがっかりするだろう。

「漫画読んでゲームやって瞑想して、お金にならないことばかりやって何してるんだ!」と。

「でもこれでいいんだよ」

「むしろこれがいいんだよ」と言ってあげたい。

今は理解できなくても、将来理解できる。

若いときに頑張ってきたことは無駄じゃないけど、もったいなかったなって。

なんでもっと楽しみながらのんびりできなかったのだろう?

人間関係を構築しながら生きていくことの良さがどうしてわからなかったのだろう?

なんで自分でなんとかしようとしてばかりいて、人の助けを求めなかったのだろう?

なんでプライドばかりを大事にして、自分の心の声に耳を傾けなかったんだろう?

でも全然後悔はない。

自分の人生に非常に満足している。

世界は今日も光と空気に満ち溢れている。

きれいな水も手に入るし、心地よい音楽も聞けるし、温かいお風呂にも入れる。

それで十分幸せなんだよね。

生きているだけで本当は十分幸せなんだよね。

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