娘が先月からミニバス(小学生のバスケットボール)を始めた。
以来毎日のようにボールを触っている。
バスケットゴールのない場所でもハンドリング練習したりしている。
娘より熱心なくらいだ。
なぜか?
教える人間ができないことを教えるのには無理があると思っているからだ。
教える人間が下手すぎたら聞く気が失せるからである。
自分が小学生時代に親に対して抱いていた気持ちもその背景にある。
本を読みなさいと言うのに本を読まない親。
勉強しなさいというのに、子供の進行状況を確認せずに塾任せだった親。
親のそんな姿勢に疑問を抱いていたから、自分は子供の状態をしっかり把握した上で導きたいと思っていたし、子供以上に努力し成長しようと思っている。
親が夢中になっていることは子供も夢中になりやすい。
だから僕が呼吸の家のDIYをしていた時、娘は隣で熱心に見ていたし、工具の名前も覚え、パパのYouTube見せてと言い、家でも学校でも工作ばかりしていた。
おかげで手先の器用な子になったし、あるもので創意工夫をするマインドが育った。
バスケは僕が大好きなスポーツだ。
娘がミニバスに入ってくれたことが嬉しくてたまらない。
娘を口実にバスケができると思っているし、娘のミニバスの練習を2〜3時間見ているのも全然苦にならない。
どんなスポーツでもそうだけど、基礎が何よりも大切だ。
基礎的な動きや考え方が習得できていないと全然うまくならない。
身体能力が高くても活かしきれない。
かくいう僕がそんな選手だった。
中高一貫校のバスケ部に中学3年から入ったために基礎の練習を全然しなかった。
おかげでバスケが全然わからないまま高校を卒業した。
勉強も運動もそれなりにできた子だったはずなのにバスケだけは壊滅的にわからなかった。
おかげで高校を卒業したあとも「あれはいったいなんだったのだろう?」と思い続けてきた。
「そうか、基礎ができてなかったからあんなだったのか!』とわかった後もどんな練習をしたらいいのかわからなかった。
しかし今の時代はインスタやYouTubeに良質なコンテンツが山のようにある。
僕はこれらを最近貪るように見ている。
基礎練習の動画を見て、まずは自分がやってみる。
やってみてうまくいき、自分でも理解できたことを娘に伝える。
基礎の練習は地味だし、慣れない動きを習得することだからけっこうしんどい。
でも今の時代はスマホのカメラがある。
しんどくても今自分がどんな動きをしていて、どんなふうに動けばいいのかわかると頑張れるようだ。
練習して新しい動きが体に馴染み、できるようになってくるとさっきまでのグズグズした表情が嘘のように明るくなる。
「ちょっと押し付けすぎたかな」と反省することもある。
でもブー垂れていた娘が家に帰ってしばらくしたら、「おんぶして!」とじゃれついてくると大丈夫だったんだなと安堵する。
娘と共通の趣味が持てるってなんて幸せなのだろう。
DIY、工作、バスケ、読書、お絵描き。
たくさんの共通の趣味を通してずっと子供と遊んでいきたい。
学び、習得し、上達する。
そのプロセスを夢中になりながら楽しんでいきたい。
パパが成長するから娘もぐんぐん成長する。
そんな親子関係でありたいなと思う。