瞑想家も瞑想をサボれば得た能力を失う

ついにお腹の違和感が完全になくなった。

よかったのぉ

7月の初めに胃の痛みが出てきて、2週間後には耐えられないほどになって病院へ行き、薬のおかげでひどい痛みはなくなったものの、ずっと胃と心臓に違和感があった。

その間のことについて、3回にわたってブログに書いてきた。

まさか自分がこんなにも長いあいだ病気に苦しむとは考えてもみなかった。

学びの多かった1ヶ月だったが、今週はさらなる学びがあった。

慢心が病をもたらしたのだとわかったのだ。

どんな慢心なんじゃ?

「瞑想を通じて自分は心身のバランスを崩さないところまで到達した」

という勘違いである。

どんな勘違いだったの?

心身のバランスを崩さない一生ものの能力を手に入れたと勘違いした。

ところがそれは一時的に到達しただけであって、サボったら失うということに気づかされた。

スポーツ選手みたいだね

そう。

スポーツ選手が練習をサボれば能力を失っていくように、瞑想家も瞑想をサボれば能力を失っていくのだ。

どうしてそれに気がついたのじゃ?

胃と心臓の違和感が抜けなかったので、しっかりと瞑想しようと思ったのだ。

最近はすっかり慢心していたため、毎朝ヴィパッサナー瞑想を15分から30分しかやっていなかった。

そのくらいやれば十分だと思っちゃったんだね…

心身のバランスを崩した時はナーダブラマ瞑想が僕の場合非常に効く。

なので、しっかりと1時間やってみた。

すると胃と心臓の違和感がなくなってしまったのだ。

楽になったものの、翌朝になったらまた少し違和感が戻ってきたので、もう一度やってみた。

するとやはり圧倒的に楽になり、やる度ごとに胃と心臓の違和感が小さくなっていく。

その時のことを僕はこんなツイートにしてまとめている。

瞑想をちゃんとやっているから心身ともに健康で、ちょっとしたストレスはものともしなかったのであって、瞑想をサボればストレスを受けやすく、ストレス耐性もなくなってしまうのだ。

人は痛い目をみるまでは学ばない。

が、痛い目をみると驚くほど学びを吸収する。

今回はかなり痛みを伴う学びだった。

これに懲りたならきっとこれからの僕は瞑想をサボることはないだろう。

一生現役のスポーツ選手をやるかのように瞑想を続けていくだろう。

瞑想はトレーニングというよりも歯みがきやお風呂のような習慣なのだろう。

僕にとって。

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