11月になった。
先月を振り返ると4人も訪問してくれて、暇だったそれまでの半年がウソのように充実した1ヶ月だった。
よかったのぉ
とにかくたくさん話した。
去年までは
- 話すこと
- 呼吸の力で体をほぐしてもらうこと
- 瞑想
この3つをバランスよくやっていたが、先月はほとんどがお話しだった。
どんな話をしたの?
パートナーとの関係についての悩みが多かった。
愛しているがゆえの悲しいすれ違い。
どーでもいい相手とすれ違ったところで大した悩みにはならぬものじゃからのぉ
まずは話を聞く。
言葉にすることで自分の考えを理性的に整理できる。
話すことで感情的だった自分に気づくこともあれば、悩みの中をぐるぐると回って出てこれないこともある。
苦しくなってきたら呼吸ほぐしで体を楽にする。
時には長く眠ってしまうこともあった。
相手が自己開示してくれるのだから、僕も自己開示をする。
自分の経験を話す。
話しづらいような出来事を話しやすくするために、僕もプライベートなことを告白する。
僕には瞑想を通して気づき、乗り越えてきたことがあるから、自分の瞑想経験から学んできた考え方を伝えることが多い。
- どん詰まりで困り果てることがないようにするための方法
- 自分の感情に振り回されないための方法
そういうテクニック的なこと。
でもやっぱりメインは相手の話に耳を傾けることだ。
悩みに対処する勇気とアイデアを持ち帰ってもらいたいという気持ちで聞いている。
自分自身で問題の本質を見つけ、対処方法に気づいてもらいたい。
僕がテクニックや対処方法を伝えることはできるが、自分で見つけた方がはるかにパワフルに作用することがわかっているから。
その点で瞑想は効果的だった。
悩みを抱えている時に呼吸や姿勢を意識している人がどれだけいるだろうか?
浅い呼吸と内臓を圧迫する姿勢。
そんな状態のまま悩み続け、思考が前向きにならずに困っているのではないだろうか?
しかし心を支えているのは呼吸である。
呼吸を支えているのは姿勢である。
呼吸が整っていなければ心が乱れるのは仕方がないことだし、姿勢が整っていなければ呼吸が乱れるのは仕方のないことだ。
姿勢が整い、呼吸が整うことで初めて心が整う条件が揃う。
姿勢を整えてもらい、呼吸を整えてもらった上で悩みごとと向き合ってもらう。
通常の瞑想では雑念を捨て、無になろうと指導されると思うが、悩みを抱えているときは無理に無を目指さなくていいと僕は考えている。
頭を空っぽにしたほうが楽になるのは間違いないのだけど、悩みの中にどっぷりハマっているときは瞑想に慣れていない場合、雑念から逃れられないことのほうが多いからだ。
体が楽な姿勢で呼吸を楽にしてもらい、眉間で光を感じながら悩みの思考の中に漂ってもらう。
悩んでいる自分を許し、雑念に自由を許してあげる。
そうしてしばらくして「どうだった?」と聞くと、「〇〇だと感じてた自分に気づきました」と自分で封印していた気持ちに気がつく。
「本当はこの気持ちを伝えたかったのに、違う形で伝えちゃってたんだ」と気づく。
ここまでくればあと必要なのは行動する勇気だけである。
勇気は心と体が元気じゃないと出しづらいものだ。
勇気とはエネルギーそのものだから。
エネルギーが自分の中にないのにエネルギーである勇気を出すことはできない。
帰って行動するためのエネルギーを得るために、心を休めてもらい、体を癒してもらう。
そして最後にアイデアと希望と勇気を持って帰ってもらう。
呼吸の家の役割はそんなところにあるようだ。