先週はブログを投稿しなかった。
どうしたんじゃ?
室内でバスケットボールをドリブルしたくて、床下の防振工事を始めたんだけど、なかなかうまくいかず、必死になって試行錯誤しているうちにブログを書くのを忘れていた。
結局うまくいったわけ?ドリブルはつけるの?
音は振動の一種だけど、振動と音は別物なのだと知った。
どうゆうこと?
ドリブルによる床下振動を測定してみると震度6レベルだった。
防振ゴムを使って工事ををしたら振動はほぼゼロになったのだが、騒音はあまり減らないということが分かった。
工事現場でコンクリートを割っている光景を見たことがあると思うけど、あの地面を揺さぶる振動をゼロにしたところで、音はどうしようもない。
(床下振動がゼロになっても、割る時に発生する騒音はたいして減らない)
ダメだったってことだね?
残念ながら。
しかし、それほどうるさくならないドリブル練習法も発見できたので、100%満足ではないが30%くらいは満足した。
試行錯誤に苦闘する様子を動画にあげているので、興味のある人はぜひ見てほしい。
前置きが長くなったが、今日は瞑想を通じて新たな発見があったことをご報告したい。
なになに?どんな発見?
何年か前に、個人ブログでこういう投稿をした。
どんな内容なの?
「今の自分は満たされているのに、どうして人から受けた些細な一言でこんなにも動揺してしまうんだろう?」
という疑問から始まった瞑想による探究。
そうして気づいた心のコントロール法について書いている。
今の自分だったら動揺するわけがないのに、些細な出来事にやたら動揺してしまったりするのは、自分の中には過去の自分が存在しているから。
過去の自分を刺激してしまうようなことが今の自分に起こると、過去の自分が泣き出し、影響を与えるのだと気づいた。
そんな話。
過去にあった辛い出来事と似たようなことが起こると、過去の自分が泣いたり悲しんだりして今の自分に影響を与えるんじゃな
そう。
それが分かったので、瞑想を通じて過去の自分に会いに行き、話してみた。
- 辛かった過去のあと、どういうことがあったのか
- どう対処すればいいと学んだのか
そんな話をしてあげると過去の自分は泣き止み、少し笑顔になる。
すると似たような出来事がふたたび起こっても、過去の自分は泣きづらくなる。
そして今の自分が安定するというわけだ。
なるほど。そういうやりかたもあるのね
しかし根深い問題に関しては劇的な効果がないこともあった。
似たような出来事に繰り返し動揺し続けていた。
どういう場合なんじゃ?
僕の場合「怒る女性が怖い」という事象。
父親が不在がちで責任感によるストレスを感じていた母は怒りっぽかった。
時に極端なキレ方をした。
その時に恐怖を感じた自分が僕の中にいて、説得しても言うことを聞いてくれない。
今は母も穏やかになり、「もう終わったことだ」と分かっていても過去の自分が反応してしまう。
そういう問題もあるんだね
この間までは過去の自分とはこんな感じで付き合ってきた。
今この時を生きているのは「今の自分」だけ。
「過去の自分たち」は自分の中にいるものの、今この時を生きていない。
僕の知らないところに普段は存在していて、過去の自分が悲しむようなことを今の僕が経験するとギャーと泣き始める。
一緒にはいるものの、今を生きているのは自分だけということじゃな
しかしこれだと過去の自分はいつまでたっても成長しない。
せっかく僕がいろんな経験を通じてアップデートしているのに、そこからの学びを彼らは受け取っていないのだ。
しかし未熟だった過去の自分が今の自分が得た学びを受け取る方法があると気づいた。
どんな方法なの!?
どんな時も過去の自分たちと共に生きるということだ。
どういうこと??
今の自分が置かれている状況を感じてほしい。
- 目の前に見える光景
- 肌で感じる温度、振動
- 鼻から入ってくる空気の温度、香り
- 耳から聞こえる音
- 口の中の味
これを自分1人で感じていないだろうか?
1人ではなく、過去の自分たちみんなで今を感じていると考えると景色が変わってくる。
どんな時も1人ではなく、過去の自分みんなと生きていると思えるようになる。
今この瞬間、一瞬一瞬をみんなで味わい、いかにして生きてやろうか考えることができる。
迷うことがあったらみんなで相談し、いろんな意見を出し合って決断していく。
こんなふうに過ごしていると、自然と勇気が湧いてくる。
自分は1人ではなく、どんな時も相談する相手がいる。
たくさんの仲間と共に歩んでいるから、短絡的な思考や決断をすることもない。
どんな時も孤独ではなく、最高の味方がそばにいる。
そんな感じになってくるのだ。
こうやってみんなと一緒に今を生きてみるとすごく楽だ。
五感から入ってくるものすべてをみんなと共有できる。
生きることがこれまで以上に楽しくなる。
ブログは更新していなかったが、そんな発見をした2週間だった。
孤独にさいなまれている人にこの考え方が届き、生きる支えになってくれたらと思う。